2024年 10月 08日
2024年9月21日(土) ぶらさかば 練馬城址公園から光が丘公園2024年9月21日(土) ぶらさかば 練馬城址公園から光が丘公園
サヘル定例活動
9月21日は二十四節気の白露の終わりで、22日は秋分である。今年は暑さが続いており、今日も最高気温30度真夏日の予報である。天気は曇りであるが、青空ものぞき、雲は高い。直射日光がない分、暑さは抑えられている。
豊島園駅は1927年(昭和2年)の開業で、その前年に開園された豊島園遊園地の最寄り駅として親しまれてきた。豊島園遊園地は2020年に閉園したが、その跡地にハリー・ポッターの体験型施設「スタジオツアー東京」が2023年6月にオープンした。駅前は練馬城址公園のエントランス広場が近接しており、北西側に遠望できる樹林におおわれた丘が練馬城址のようだ。
今日のウォーキングは、駅の東側の社寺群、緑地を見て北上し、石神井川を西に進み、練馬城址公園を通り、途中から北上して、夏の雲公園を経て、光が丘公園に至る約6㎞のコースである。駅前の標高は40mである。緩やかな豊島台といわれる平坦な台地が広がる。
彼岸の墓参りの人が行き来している。参道にはサルスベリの花が咲いていた。これらの社寺群は1923年の関東大震災後に移転して作られたとあった。
社寺群の南側を東に進むと、真行寺があった。本堂は築地本願寺を模したインド仏教様式の鉄筋造りである。大きなケヤキもあった。
学校に沿って南に進むと、平成ツツジ公園(面積約8600㎡)の大きな樹林地と赤褐色の石の門柱が見えた。公園内には大きなケヤキの群植があった。ツツジは600品種、1万株のツツジ類が植えられており、つつじ祭りが行われるそうだ。すぐ東側は練馬文化センターで、西武池袋線の練馬駅とデッキでつながっている。
東側の横断歩道橋を渡り、住宅街の中の道を北に進むと中学校がある。標高は38m、ここから石神井川に向かって坂道である。坂下には練馬総合運動場公園(面積約3ヘクタール)があり、運動会が行われて人が集まっていた。
運動場の北側が石神井川、深さは5m、川幅は10m以上の都市河川である。川底を澄んだ水が流れている。
東中央橋(標高31m)から川沿いを西に500mほど進むと、豊島園通りの中之橋で、出発点の駅に近い。目の前にはハリー・ポッターの施設がある。さらに200mほど進むと、豊島園駅前から続くエントランス広場の北端で、右岸の樹林に覆われた丘が練馬城址のようだ。
川沿いの遊歩道を5分ほど進むと、都立練馬城址公園(約3.2ヘクタール)の花のふれあいゾーンである。
大芝生場広場があり、大遊具広場、防災施設が配置されている。花の丘は季節外れのためか、あまり花がない。
11時45分、東屋のベンチで昼食、休憩する。樹木が小さく、高い建物がないため見通しがよく広く見える。子供たちは網をもって虫を追いかけている。遊具広場には親子がたくさん集まっていた。
12時15分出発。石神井川をさかのぼる。周囲は低層の戸建て住宅が続く。川面にはカルガモ、カワウ、ハクセキレイ、スッポンが見られた。これらが生きていける餌があるようだ。
12時40分、道楽橋(標高31m)から北に進み、住宅地を抜けると、樹木に囲まれた小高い場所に高松八幡神社(標高39m)があった。1千年以上前に創建された古い神社である。拝殿は質素な切妻屋根の木造づくりである。周囲には広い樹林地があり、上部は環八通に接している。
環八通を渡り、北の住宅街を進む。大きな屋敷の北側にしいのき憩いの森があり、スダジイの高木が群生していた。樹高は20m以上、太いものは直径80cmほどありそうだ。
北側には小さな若宮公園があり、大きな木製の樽が目についた。高さ2m、直径1.5mほどの大きさである。向かいの家にも同じものがあった。近くの人に聞いてみると、漬物に使った樽のようだ。
北西に進むと13時10分、夏の雲公園(面積約5.4ヘクタール)に到着した(標高40m)。高層集合住宅団地の間の大きな公園で、イチョウ並木が大きく枝を広げていた。
このほか近くには春の風公園(3.4ヘクタール)や秋の陽公園(1.8ヘクタール)、四季の香公園(4.2ヘクタール)など、大きな公園が作られている。
北に向かって1000mほどの遊歩道が続いており、その先には広大な都立光が丘公園がある(約60ヘクタール)。途中に地下鉄の駅があり、たくさんの人が歩いている。
まっすぐに歩いて、13時30分、光が丘公園に到着した(標高41m)。この公園は1981年(昭和56年)12月開園で、樹木はしっかり大きくなっている。園内を少しだけ散策する。サンクチュアリの外側を1周する。園内では音楽会のイベントもやっていた。
公園の南口に戻り、遊歩道を戻ってくる。ここに植えられたイチョウの樹齢は100年ほどになるそうだ。銀杏が落ち始めている。
14時、都営大江戸線の光が丘駅に到着し、散会終了した。
秋分前日であるが、暑い一日だった。雲があったため、幾分過ごしやすかった。豊島園は昭和初期から93年の長きにわたって多くの人を楽しませてきた。遊園地は時代の要請にあわせて事業内容を改変して対応してきたが、閉園は防災公園化の都市計画に伴う東京都からの要請に答えたものであるそうだ。周囲は住宅地で埋め尽くされており、この空間は貴重である。石神井川南側は整備が続けられている。
光が丘は戦前には成増飛行場が設置されていたが、終戦後はグランドハイツとして米軍の統治下におかれ、1973年9月に返還された。総面積の1/3が公園として確保され、都内最大の団地が建設されて、1.2万世帯、約4万人が居住しているそうである。新たな街づくりから50年余の生活の蓄積がある。
社寺の利用は人それぞれで異なるが、1年に1回ないし2回程度であると思われる。10年、20年に一度の人が来てもあまり変わっていない安心感があるのかもしれない。片隅でひっそりと寄り添って存在していることが長続きしている要因の一つかもしれない。
坂場光雄




























