広がっていくサハラ砂漠…
その南の端、サヘルに生きる人びとが安定した生活を営めるように協力し、共に木を育て、森を管理し、砂漠化をくい止めるために活動しています。
近年ではマリ共和国・首都バマコおよび近郊(クリコロ州ファナ地域)で「アフリカの里山再生」事業に力を入れて取り組んでいます。
地域で頑張る苗畑主を講師とした里山再生実践者研修は、多くの研修生(実践者)が受講しそれぞれの村で植林や育苗を実践しています。
また横のつながり(ネットワーク化)ができたことや先駆的な活動をしている苗畑主と師弟関係になったことにより、日本人スタッフが不在の時期でも技術的なサポートを得やすくなりました。

このブログではサヘルの森の活動をご紹介します。
サヘルの森の詳しい活動が知りたい方は こちら をクリックしてください。
2025年4月20日(日) ぶらさかば レインボーブリッジから台場公園
サヘル定例活動
4月20日は二十四節気の穀雨である。穀雨は春雨が降って穀物を育てる時候で、春の終わりの節気である。4月20日の東京の日の出は5時3分、日の入りは18時18分で、昼の時間が長くなった。暖かくなってきて夏日(25度)もあったが、今日は曇りで最高気温が22度の予報である。朝は寒さ対策をして出かける。
今日の集合場所はJR田町駅の予定であったが、JR山手線、京浜東北線が工事運休のため、急遽都営地下鉄三田線の三田駅に変更した。田町を通る貨物線を、羽田空港と結んで利便性を高めるための工事という。完成までにはしばらくかかりそうだ。
都営地下鉄三田線は西高島平と目黒を結んでおり、三田駅は1968年(昭和43年)6月の開業である。新宿方面からは中央線水道橋駅で乗り替え、約25分で到達する。三田駅には押上と西馬込を結ぶ都営浅草線も乗り入れており、駅はつながっている。
今日のウォーキングコースは、田町からレインボーブリッジを渡り、お台場公園、ミナトリエの展望台を目指す約8kmである。
三田線の三田駅改札に3名が集合、10時30分出発する。地下道を通り、階段を上ると、5分ほどでJR田町駅である。電車が運休なので駅前は人が少ない。
階下にはたくさんの線路が並んでおり、新幹線車両の通過も見られた。駅前の標高は2.8mである。
田町駅から南東方向の幹線道路を進む。周りはビルが並ぶ。人の往来もある。大きな運河を渡り、30分ほどで海岸に到着する(標高2.7m)。
高速道路や新交通ゆりかもめ路線の橋脚が海の上にかかっている。ゆりかもめが走る丸い一般道路は直径が300mほどあり、緩やかに上がってレインボーブリッジの下の段に合流している。
橋脚の間を進み、レインボーブリッジに上がる入口に入ると、エレベータがあり、高さ50mまで運んでくれた。自転車も乗れるようだ。ただ自転車はタイヤに車止めが付けられ、押して歩かなければならない。
巨大な鉄骨が組み上げられ、歩道は幅1.5m余、歩道の脇には一般道路とゆりかもめ路線が走っている。二階部分は高速道路になっている。自動車の唸り声が響いている。
北側の展望がよく、芝浦のコンテナふ頭がすぐ下に見える。その北側の日の出桟橋、竹芝桟橋もよく見える。その先は墨田川方面である。東側の豊海や晴海あたりは埋立地で、ビルがびっしりと建っている。ビルの重さで土地が沈まないかと心配になる。
歩道はグループの人やランニングの人が行き交っている。橋の中央の大きな柱は高さ126m、柱の間は570mほどで、下の水面は大型船の航路である。
遊覧船や水上バスが走っている。歩道は緩やかに下って、11時45分、お台場の出口に到着した。
すぐ西側に江戸時代に砲台を設置した第三台場があり、歩道でつながっている。歩道の周辺にはタブノキやマテバシイがよく生育している。
5分足らずで第三台場に到着した。台場は一辺が100m余の方形で、周囲は石垣が積まれ、高さ5mほどの土手で囲まれている。
内側はくぼんでいて刈り払われた草地、北側の一部は樹林地になっている。土手の上は風が強いが、内側は比較的穏やかである。
12時30分、土手の上に戻り、周りを散策する。西側に砲台の模型があった。北側にはレインボーブリッジが大きく立ち上がっている。
西側の海の中には緑に包まれた第六台場が見える。台場はたくさん作られたようだ。
北側に進むと土手の上にはサクラ類やクロマツ、クスノキ、タブノキなどが大きく生育していた。
北西側は土手の間に資材を運び入れる通路が作られていた。外を見ただけではなかなか気が付かない。
12時50分、入口に戻り、お台場海浜公園の砂浜に沿って進む。この砂浜は長さが1㎞ほど、幅は広い場所で100m余と広い。砂浜は造成されたものである。休日のためか、多くの人が訪れている。暖かい時期に訪れたときはもっと混雑していた記憶がある。
舗装された歩道は海岸から離れた内陸部を通っており、標高2.8mの表示があった。途中に水上バスの乗り場があった。浅草方面などを結んでいる。遊覧船も動いているのが見える。
13時30分直線の海岸部の端部に到着する。その先は潮風公園の工事中で、白い塀で覆われている。
ここは水陸両用バスの海への出入口があり、バスが上陸する場面にちょうど出会った。窓はビニールシート、後ろ側にはスクリューが付いていた。陸に上がると、車体を水で洗っていた。
大きなホテルの西側から南に進む。上部にはゆりかもめの高架橋が通っている。道路の下側には湾岸道路が直交しており、東京港トンネルの入り口が見えた。
さらに進むと船の科学館の建物が老朽化のため解体中である。そのわきには初代南極観測船の宗谷が展示されていた。
宗谷は全長が80m余、現場で見ると大きい船であるが、思っていたよりも小さい。これで南極の氷の海を進むのは厳しかった。南極で氷に囲まれて動けなくなり、オビ号に助けられたという展示があった。後ろ側にはヘリポートが付いていた。操舵室も見学できた。船内の居住空間は狭い。これで何か月も航海するのは大変だったと思われる。
14時50分出発、南に向けて出発する。東京税関の建物を過ぎて、東に向かうと、フロンティアビルに到着した。このビルの20階が東京ミナトリエ(東京臨海部広報展示室)で、江戸や現代の物流、歴史などの展示と展望の施設になっている。江戸時代の河岸の模型もあった。東京湾の開発の展示もある。下には湾岸に広がるコンテナふ頭やビル群が眺望できた。はるか南には羽田空港があり、飛行機の発着も遠望できる。
15時40分、出発して階下に降りると、すぐ前がゆりかもめのテレコムセンター駅である。まもなく電車がきて、乗車する。車内は込み合っていたが、15分ほどでJR新橋駅に到着し、散会した。
レインボーブリッジは港区の芝浦と東京湾の港区台場を結ぶつり橋である。1987年に工事に着工し、1993年竣工、8月26日に開通した。橋の部分の長さは約800m、主塔の高さは海面から126m、2本の主塔の間は570mである。
今回歩いた芝浦のエレベータからお台場までは、レインボーブリッジと連絡橋の部分の距離を加えた約1.7㎞で、レインボープロムナードと呼ばれているそうだ。
東京湾の柔らかい地盤の上に、このような大きな建造物を作る技術はすばらしいものである。維持管理も大変なことと思われる。
江戸時代の終わりごろに作られた台場は、石垣用の石と多くの土を運んで、多くの費用をかけて造られた。周囲の石垣は現在もしっかりと波の浸食を防いでいる。これもすごい技術である。
坂場 光雄
2025年3月15日(土) ぶらさかば 駒沢オリンピック公園から世田谷公園を歩く
サヘル定例活動
3月の半ばは二十四節気の啓蟄の節気で、冬ごもりの虫などがはい出す頃とされている。暖かい日もあったが、今日は曇りで最高気温は13度ほどの予報で少し肌寒い。
今日の集合場所は田園都市線の駒沢大学駅である。田園都市線は渋谷駅と中央林間駅を結ぶ31.5㎞の私鉄である。駒沢大学駅は渋谷から南西方向へ3つ目の駅で、距離が4.8㎞の地点にある。路線は地下化されており、駅の改札口も地下である。駒沢大学駅の開業は1977年(昭和52年)4月7日である。行政区分は東京都世田谷区である。
10時30分、改札前に2名が集合し、出発する。地上に出ると、目の前に多摩川通(国道246号)が走っており、道路の上部には首都高速三号線がある。駅前の標高は40mである。
多摩川通を西に進み、駒沢オリンピック公園の西口を目指す。5分ほど歩き、交差点を南に進むと、間もなく駒澤大学の正門である。門の前にはカワヅザクラが咲いていた。
10時45分、駒澤大学のすぐ隣にある駒沢オリンピック公園に到着する。1964年の東京オリンピックの開催地で、公園面積は約41.3ヘクタールである。公園内の広い通りに25~30mほどありそうなケヤキやクスノキが林立している。入口の標高は40mで平坦である。
広い道路は歩行者、走行者、自転車に区分され、たくさんの人がランニングをしていた。散歩の人も歩いている。梅園のウメは終わっていたが、サンシュユの黄色い花、花壇には黄色いスイセンが満開である。
メインの道路から中に進むとサッカーコートがあり、ちょうど試合中である。それぞれおそろいのユニホームを着て、走り回っている。コートの縁には線審もいて、ボールの動きに合わせて走り回っている。なかなか忙しい。反対側にももう一人いた。しばらく試合を見学していたが、なかなかゴールが決まらない。難しいものと感じた。
中央部に行くと、高いシンボルタワー(高さ50m)と屋内競技場があった。東側には巨大な陸上競技場(座席数2万個余)があり、広場にはテントが並んでイベントが行われていた。
駒沢通にかかる広い歩道橋を南に進み、ぐるりと回る。10面のテニスコートを眺めて、陸上競技場の前に戻ってきた。はや11時50分であり、自由広場のベンチで昼食にする。
この辺りの樹木も大きい。メタセコイアの樹高は30mぐらいありそうだ。太いケヤキは剪定痕がたくさんある。
動かないでいると寒いので昼食を済ませると、12時10分に出発する。公園の東口から出て、東京医療保健大学の北側を北東に進む。この辺りは低層の戸建て住宅地で道幅が狭い。
緩やかに下っており、低い場所は標高30mで、また緩やかに上がっている。10分ほど進むと環七通に突き当たった。自動車の交通量は多い。信号で道路を横断して、路地へ進む。
周囲にあるイチョウはだいぶ剪定されていた。北に下るとすぐ近くに鶴ヶ久保公園(面積約0.28ヘクタール)があり、ここには湧水の池があった(標高31m)。
上にある野沢稲荷が谷頭に当たるとの解説板があった。昔はここから小川が流れていたようだ。現在は水路がなく埋設されて、道路になっている。
隣は広いグランドのある東京学芸大附属高校で、校舎の周りには大きなイチョウの列植があった。
住宅地の直線道路を北進すると、緩やかな下りになり、蛇崩川緑道に到達した(標高25m)。
蛇崩川遊歩道を800mほど下り(標高20m)、途中から西に登って進む。13時40分、樹木に囲まれた広い世田谷公園(面積7.9ヘクタール)に到着した(標高27m)。
駒沢オリンピック公園ほどではないが、大きな樹木群がよく生育している。ミニ機関車がたくさんの人を乗せて林間を走っていた。
中央には大きな噴水池がある。そこでは防火防災訓練が行われており、噴水に向かって放水体験が行われ、子供たちが並んで順番待ちをしていた。東側では防災体験車による防災体験や消火器体験が行われていた。たくさんの人が行き交っている。
噴水広場の西側には大きなツツジの丘がある。防災体験を見ながら、北側に進むと、このあたりには弓道場、交通公園、プール、テニスコート、大きなグラウンドがあった。いろいろな利用ができる公園で、たくさんの人が楽しんでいた。
14時10分、世田谷公園の北口(標高31m)を出て北に進む。首都高速三号線の高架下をくぐり、緩やかに下ると烏山川緑道(標高20m)に至る。下流は北沢川に合流するが、上流側に500mほど進むと三宿神社があった。南向き斜面を上ると樹林地の中に拝殿があった(標高28m)。神楽殿の建物もあった。低木がなく見通しがよいが、高木の枯れ枝が気になった。
下に戻り、西側から急坂を上ると、三宿の森緑地(面積0.8ヘクタール)である(標高32m)。トイレや広いのびのび広場、草地やビオトープ池があり、自然観察が出きそうだ。
ここは南側の烏山川、北側の北沢川の間の丘になっており、見晴らしの良い場所だったのではないか。
14時40分に出発し北側に抜けて住宅地を緩やかに下ると、北沢川の緑道である(標高23m)。ここには緑道の中央に小さな水路が作られている。
緩やかに上って淡島通を横断し、細い道路を600mほど北上すると、14時55分、京王井の頭線池ノ上駅に到着した(標高42m)。
約10㎞のウォーキングでした。武蔵野台地の南西の地域で、地形図を見るとほぼ平坦に見える。大きな駒沢公園や世田谷公園はほぼ平坦であったが、歩いてみると、小河川による浸食で、小さな起伏が連続していた。小河川部分は緑道に整備されている。小さな旧河川は大部分が暗渠化されて水面が見えない。野生生物にとっては水がなく厳しい環境である。
全体として低層の住宅地が多い場所でした。公園緑地の樹木を見ていると、よく生育しており、地味がよいことが感じられる。
坂場光雄
2025年1月18日(土) ぶらさかば 雑司ヶ谷七福神を巡る
サヘル定例活動
2025年1月18日は二十四節気の小寒の節気である。冬至(12月21日)が過ぎて、寒さが厳しくなる時候である。今日の天気は晴れ、気温は最低0度、最高9度の予報である。
今日から大学の入学共通テストのようで、案内板を持つ人が会場方向を示していた。土曜日
10時の改札はたくさんの人が往来している。和服のご婦人がたくさん改札から出てきた。
今日は目白駅から雑司ヶ谷七福神を巡り、その後池袋の南側を歩いて目白駅に戻るコー
スである。改札に2人が集合し、10時30分出発する。
目白通りを渡り、裏道に入って学校の間を東に進む。この辺りは道幅が狭く、静かで低層住宅地もある。600mほど歩いて明治通りを横断する。
さらに200mほど西に進むと、10時53分、都営荒川線の鬼子母神駅前(標高29m)に到着した。駅は簡単な屋根だけである。荒川線は早稲田と箕輪方面を結んでいる。
ここから北西方向に進むと、住宅地に近接して高くなった大木のケヤキ並木が目に入る。鬼子母神の参道である。すぐ近くに雑司ヶ谷案内処があり、地図をいただく。この地域の七 福神や名所が記載されている。
参道を左に折れると正面の樹木の間に碧の屋根の立派な鬼子母神堂(標高30m)が見えた。人がたくさんいる。左手には高さ30m余、幹回り8mの巨大なイチョウが枝を広げていた。
根元では数匹の猫が昼寝、のどかである。
境内では手創り市が開催されてにぎわっていた。
安土桃山時代の1578年にこの地に堂宇が作られ、江戸時代の1664年に本堂が作られた。木造の本堂は2016年(平成28年)国の重要文化財(建築物)に指定されている。本堂周辺には大きな樹木が多い。大黒天は本堂右側にあった。
近くにあるフクロウベンチがおもしろい。
11時15分、北に進むと弁財天のいる観静院(標高29m)があった。正面の大きな法明寺の塔頭(たっちゅう)、小寺院である。山門脇に弁財天の小さな祠や石像があった。
11時23分、法明寺を出発、東京音楽大学の前を東に進むと、10分ほどで大鳥神社(標高26m)にした。恵比寿神は拝殿の右到着側にあった。
ここの境内でも陶器市が開催されてにぎわっていた。
すぐ前の都電の線路を渡り緩やかな下り道を東に進む。赤いのぼり旗があり、北に登ると11時40分、毘沙門天のいる清立院(標高30m)到着した。コンクリートづくりの本殿がある。大きなケヤキが数本立っている。裏側には整然と墓石が並んでいた。
谷を通る鶴牧通りを進む。この通りにはわずかに食堂や商店があった。住宅地の間の曲がりくねった道を進む。道は細いが、谷のメインストリートのようだ。
菊池寛の住居跡の碑を見てまもなく、道路沿いに目印の赤いのぼり旗があり、細い路地を抜けると吉祥天の清土鬼子母神(標高17m)があった。12時に到着した。
境内には大きなイチョウがあるが、目印がないとなかなかたどり着けない。
ここからは住宅の間の路地を通って北上し、12時10分、雑司が谷1丁目公園(面積約1千㎡、標高30m)に到着した。
住宅地の間の小さな公園で、遊具やベンチ、トイレがある。一組の親子が遊んでいた。ここで昼食をとる。
12時40分に出発する。公園のすぐ近くに雑司ヶ谷旧宣教師館(標高30m)があり、立ち寄る。明治期に作られたモダンな木造2階建てである。きれいに手入れされている庭や建物を見学する。昔は教会もあったそうだ
13時8分出発する。北側に進むとまもなく雑司ヶ谷霊園(面積10.6ヘクタール余、標高30m)である。自動車が通れる道路もある。樹木が点在している。中央付近で夏目漱石の墓を見つけた。大きな墓石で目立っている。ほかにも文化人の墓があるようだ。
北西に進み、霊園を抜けると都電雑司ヶ谷駅である。踏切を渡り、東通りを西に進む。この辺りから高い建物が増えてきた。豊島区役所も近い。
ビルの間の道を進む。往来の人が増えてきた。13時36分、布袋尊のある中野ビル(標高32m)に到着した。ビルの1階に石造りの布袋尊が祀ってある。
次は北側にある福禄寿を目指す。北側に200mほど進むと寺院が並んでいる場所に到達した。ビルのそれぞれが寺院である。福禄寿のある仙行寺(標高31m)もその一つである。
建物の階上部分は納骨堂であろうか。ビルの南側は緑化がなされている。13時40分、ビルに入ると正面には暗闇の中に大きな仏像がある。入口右手に福禄寿像があった。
七福神めぐりはこれで完了であるが、池袋駅の南西にある自由学園の飛鳥館をめざす。
13時45分、仙行寺から明治通りを横断して、池袋駅の南側を西に進む。西武線、山手線の下をくぐり、住宅地の細い道路を南に進むと、自由学園(標高32m)があった。自由学園にはフランク・ロイド・ライト設計の建物がある。
道路に沿って南側に回り込むと、レンガブロックの道路に出た。ここからは校庭を通して平屋建ての建物がよく見えた。この建物は1997年(平成9年)国の重要文化財(建造物)に指定された。柱と窓のデザインがきれいで印象的である。校庭のソメイヨシノはだいぶ大きく生育していた。
14時、南に進んで西武池袋線の踏切を超えると、線路わきに目白庭園(標高32m)があった。1990年(平成2年)に豊島区が建設した池泉回遊式庭園(面積2800㎡余)である。中央に大きな池が作られている。
サクラ類やモミジが植えられ、周囲には常緑樹が配置されている。池の周囲には大きな岩石が自然風に配置され、よい景色を作り出している。今日は若い人の訪問が多く、混みあっていた。
14時18分、庭園を出て住宅街を南に進むと、10分ほどで目白通りに出た。道路を横断すれば目白駅である。14時30分、目白駅に到着、散会した。
今日のコースは豊島台地の比較的平坦な地域であるが、その中にも小さな地形の変化がある。台地の生活では水の確保が不可欠であり、台地の下側や谷の通り道周辺から開けていったのだろう。社寺は古くから村人のよりどころとして続いてきた。
緑地や樹木は、道路や敷地に余裕があるうちは問題がなかったが、樹木が巨大化してくると、道路や周辺住宅にも影響出てくる。どのようにしたらうまく共生できるだろうか。
100年余前に建設された建物でも、よいデザインと管理で現代空間にマッチし、現在でも利用されているのはすばらしい。
2024年12月15日(日) ぶらさかば 東綾瀬公園・中川公園を歩く
サヘル定例活動
12月の半ばで二十四節気の大雪の節気である。東京は先週に初霜があり、冬型の気圧配置で冬らしく寒くなってきた。天気はよく、今月は雨がほとんど降っていない。今日の最高気温は12度の予報である。
集合場所は千代田線「綾瀬」駅である。綾瀬駅は1943年(昭和18年)4月に常磐線の駅として開業した。その後1971年(昭和46年)に千代田線の綾瀬駅が開業、常磐線との相互乗り入れ駅となっている。現在の常磐線は綾瀬駅に停車しないので、北千住で千代田線の各駅停車に乗り換えが必要である。行政区分は駅の北側が足立区、南側が葛飾区である。
この辺りは荒川と江戸川に挟まれた東京低地の沖積平野である。綾瀬駅北口の標高は0mである。
綾瀬駅東口改札に2人が集合、10時30分に出発する。すぐ駅前に地上32階の高層ビルが工事中である。周りに高いビルがないので目立っている。東側に都立東綾瀬公園の遊歩道と広場がある。遊歩道部分は幅が30mほどあり、まだ新しく整備されたばかりのようだ。
東綾瀬公園(面積約16ヘクタール)は綾瀬駅前から点在する広場を遊歩道で結び、全長が2㎞と長いU型の大きな公園になっている。開園は1966年(昭和41年)7月である。
300mほど北に進むと大きな東京武道館が見えてきた。巨大な台形の建物で、三角形を組み合わせたデザインが目を引いた。遊歩道は北に続いている。
公園には複数の野球場やゲートボール広場、テニスコートなどがあり、サクラ類をはじめ、ラクウショウ、モミジバフウ、多くのツツジ類などが枝葉を広げている。秋のヒガンバナ、ハーブ園などは見所になっているそうだ。
樹高が30mほどあるラクウショウは茶褐色に紅葉している。根元には膝根(気根の一種)が出ていた。
かつての農業用水を生かした水路やジャブジャブ池が整備されている。サクラ類の園地もある。大きな通りは幅の広い陸橋で立体交差になっている。この周辺は水田であったそうで区画整理により、良好な中低層住宅となっている。
公園脇の道路で大きなリクガメを散歩させている人がいた。カメを見て通りがかりの人がだいぶ大きくなったと話していた。5年ほどで40-50㎝になったとか。
野球場の南にあるメタセコイアは樹高が30mを超えているようで、黄褐色に色づいて存在感がある。
大きな陸橋の三枚田橋は高さが10mほどあり、展望地にもなっている。駅前の高層ビルも見える。散歩していた地元のお年寄りは、富士山がビルの間から見えること、都営住宅が多いこと、買い物をする店がたくさんあり、暮らしやすいと教えてくれた。
この周りには5ヘクタールほどの大きな園地があり、テニスコート、野球場、多目的広場などがあり、南に遊歩道が続いている。
12時30分公園を東側に抜けて、北側の狭い歩道のある道路を北東に進む。この辺りは中低層の集合住宅や戸建て住宅が並んでいる。
15分ほどで広い街路樹のある道路につながった。歩いてきた道路はこれから広げられるようだ。
12時55分、葛西用水通と環状七号通の大谷田橋交差点に到着した(標高0m)。環状七号通は高架で南から北東方向に延びている。葛西用水通は南北方向に延び、南に1km余で常磐線亀有駅である。
交差点の東側に都立中川公園(面積約12ヘクタール)があった。この公園は1986年(昭和61年)6月の開園である。少し離れたA地区(6.6ヘクタール)とB地区(5.6ヘクタール)に分かれている。将来的にはA地区とB地区の間を合わせて、大公園になるようだ。
A地区は中川水再生センターの屋上と周辺に整備されており、周辺より高くなっている(標高6.0m)。広場にはロープジャングルなどの遊具がある。
周囲には大きな樹木も生育している。小学校用の農園もあった。コナラの幹にはナラガレ対策のシートが巻かれていた。
13時15分、北側から公園を出て東に進み、中川水再生センターを南にたどると、中川公園のB地区である(標高1.1m)。ふれあい広場、四季の森、果樹の森、多目的広場などがある。
B地区を東に出て北に進むと中川の近くに氷川神社があった。黄色くなったイチョウの木がたくさんあり、掃除をしている人がいた。
北側には飯塚橋が見える。橋のたもとの堤防に渡し場の石碑があった。中川の川幅は100mほどありそうだ。14時、飯塚橋を渡ると葛飾区である。
川沿いの堤防を南に進むと富士神社があった。溶岩を積み重ねて造った高さ8.6mの富士塚が見える。1879年(明治12年)に作られたそうだ。
14時15分、堤防から東に下ると、塀に囲まれた三菱ガス化学の大きな工場跡があった。建物はない。大きな空き地である。塀に沿って南東に進むと、14時25分、東京理科大学葛飾キャンパスに到着した(標高1.1m)。
キャンパスの両側が「葛飾にいじゅくみらい公園(面積約7.1ヘクタール)」である。南側に大きな原っぱ広場(標高4.5m)あり、サクラ類、タブ、トウカエデ、カツラなどの樹木群と修景池、流れがある。サクラ類は25種が植栽されているという。
大芝生広場の南側に丸い球状モニュメントがあった。直径4mほどの球体である。これは製紙工場で使われたパルプを蒸しほぐす蒸し釜で、地球釜と呼ばれたものだそうだ。この近くにあった製紙工場のものである。
広場の北側には理科大の高層ビルがきれいに並んでいる。大芝生広場にはたくさんの人が遊んでおり、にぎやかである。大きな道路を挟んで南側にもビルが並んでいる。
公園の南東の交差点(標高1.0m)から東に進み、信号のある交差点を南に進むとJR金町駅(標高2.0m)である。14時45分に到着した。
12月半ばの大雪の節気であったが、風が弱く温暖であった。ほとんどが平坦地で歩きやすかった。公園では樹木が大きく生育して地域のランドマークになっている。中低木が少なく見通しがよかった。川に挟まれた地域でコース全体が0m地帯である。堤防に囲まれているが、常に水害防災にこころがけたい地域である。
坂場光雄